連載 『スキです、西郷どん!!』
原口泉先生 ロングインタビュー(後編)
2018年1月よりスタートする大河ドラマ「西郷どん!」。
今なお県民から愛される偉人・西郷隆盛が主人公とあって、鹿児島が熱く盛り上がっています!
今回は「西郷どん!」の時代考証をしている原口泉先生にスペシャルインタビューを敢行!
西郷さんのこと、明治維新のこと、いろいろ教えてもらいました。後編、スタートです。
ー奄美での生活も描かれるようですね
西郷さんが奄美に行くきっかけになったのは、安政5年(1858)の井伊直弼の大老就任、斉彬公の急死、そして始まった江戸幕府による弾圧・安政の大獄です。勤王派の清水寺成就院の住職・月照に幕府の追っ手が迫り、近衛家から保護を依頼された西郷は、薩摩が安全と考え帰郷するのですが、斉彬公亡き後萎縮した藩政は、近衛家と深く関わっていた月照を保護しようとはせず、日向に送るよう命じました。
薩摩ではこれを「永送り」といい、そこで亡き者にせよという意味でした。46歳の月照和尚に切腹は命ぜられないし、切る事もできない。そうすると、すまない、一緒にという気持ちで西郷は月照和尚と入水自殺を図るわけです。
本来ならそこで命がなくなってたはずなんだけど、どういうわけか西郷さんだけが蘇生したんです。天のいたずらとしか思えないですよね。3日間生死の境をさまよった後に、目を覚ました西郷さんは天命を悟ったんじゃないかな。世のため人のためという生き方をね。
<鹿児島市吉野町・西郷隆盛蘇生の家>
その後、幕府のお尋ね者になって、藩からの命令で奄美大島で3年間「菊池源吾」として隠れて過ごしていた時に、愛加那との出会いがあるわけです。愛加那さんの愛情に身を包まれて、夫となり、父親となり、幸せな時間を過ごしたんじゃないかな。玄孫の薩摩焼陶芸家・西郷隆文さんもそう語っていますよ。ドラマは西郷さんを包んだ奄美の自然や豊かな食文化、人の優しさといったところも描かれるはずです。
ー西郷さんといえば、大久保さんのことも欠かせません
薩摩藩城下は、幕末には36ほどの郷中(ごじゅう)という地域に分かれていました。大久保さんは高麗(これ)町郷中で生まれましたが、7~8歳の頃に西郷さんが住む下加冶屋町郷中に移ってきました。西郷さんは確かに明治維新の最大の功労者であることは間違いないのだけれど、3歳年下で盟友の大久保さんの力も非常に大きかったと思います。
<鹿児島市加冶屋町・大久保利通生い立ちの地>
というのも、西郷さんは少なくとも5年の間、奄美群島への遠島によって政治的生命は断たれているわけです。そんな中にあっても、西郷さんを誠忠組という下級の改革派武士の頭領として据えつづけ、そして奄美から召還するという動きをしていったのは大久保利通、そして小松帯刀ですから。
<鹿児島市山下町・宝山ホール前にある小松帯刀銅像>
西郷さんが奄美にいる間、西郷さんをリーダーと仰ぐ過激派の下級武士たちは、大老井伊直弼への反発から脱藩し突出(兵を挙げようとすること)を計画し、実行する段階までにありました。時期尚早であると案じた大久保さんは、藩主である茂久公とその父久光公へ働きかけ「薩摩はいつか立つ、それまで忠誠を尽くしてほしい」というお墨付きをもらうことに成功しました。武士たちの暴走を止めて、組織を壊滅させなかったのは大久保さんの大きな功績です。あくまで西郷さんをリーダーとして立て、誠忠組をしっかりと二人で担っていたその信頼関係が、戊辰戦争まで明治維新の推進力となったんでしょうね。
明治維新がなされるまでの間、大久保さんは大事な局面には常に、政治の場に席をおいていました。この忍耐力というか、持久力というか…。その功績は西郷さんほどは華々しくはないけど、やっぱり大久保さんがいなければね、明治維新が達成できたかはわからないですね。
<甲突川のたもとに立つ大久保利通銅像>
ーそんな2人が西南戦争では敵味方になるわけですが
大久保さんもね、西郷さんが士族反乱の中に入って行った時、本当に辛かったと思いますよ。西郷さんと大久保さんの目標は同じ「万国に肩を並べるような豊かな国になること」でした。大久保さんは西郷さんが下野したのち、1人政府の中にあって「富国強兵」「殖産興業」政策を進めていました。西郷さんも鹿児島で吉野開墾社を開設し、農耕を奨励します。農業と伝統的産業を発展させながら、工業を移植し近代化を進めて行こうという考えは同じであったと思います。
ですが、吉野開墾社や西郷さんが設立した私学校にいる生徒たちの暴走が西南戦争の引き金となってしまうわけです。西郷さんと大久保さんがけんか別れしたとは思いませんが、その後、お互いが意思疎通をするためのパイプがなかったというのが大きんじゃないかなと思いますね。
ー大河ドラマ「西郷どん」が始まる2018年は明治維新150年でもあります。今なにを思われますか
西南戦争以降、西郷さんが目指していたものとは違う「工業偏重」の資本主義化の道を進んでしまうわけですが、その中でやはり農業や伝統的産業は犠牲にされてきました。西郷さんが成し遂げようとした、もう一つの近代化の道があったんじゃないか、ということろを150年の今、振り返ってみる必要があるんじゃないかな。
幕末に薩摩焼や浮世絵がヨーロッパ人の心を捉えたのと同じように、2015年のミラノ万博では「食」をテーマにした日本館が盛況でした。目指すべきところは食のジャポニズム、そういう時代に入ったんじゃないかな。そうすると鹿児島ってのは非常に大きな可能性、資産に恵まれている場所であると思いますので、志をもったUターン、Iターンの若者が増えてくると思っています。
取材が殺到する中、たっぷり1時間半お話してくださいました。「西郷さんのことは、はしょって話をすることができないんだよ~」と笑いながらおっしゃっていたのが印象的でした。もっと詳しく西郷さんのことを知りたい人は、NHK出版より発売中の「西郷(せご)どんとよばれた男」<著 原口泉>をチェックしてみてください!
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