【ライフ・オン・ザ・ロングボード 2ndWava】種子島が舞台の映画が5月31日に公開!喜多一郎監督・松原奈佑さんロングインタビュー
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2019年5月27日
定年後に種子島でサーフィンを始めた中年男の第2の人生を大杉漣主演で描き、多くの中年サーファーを生み出すという社会現象を巻き起こした2005年公開の映画「ライフ・オン・ザ・ロング・ボード」。
その世界観を受け継いだ「ライフ・オン・ザ・ロングボード 2ndWave」(もちろん舞台は種子島!)が、5月31日より鹿児島ミッテ10で公開されます。
喜多一郎監督と、出演者の松原奈佑さんに、作品についてたっぷりお話を伺ってきました!
喜多監督がサーフィンをテーマに映画を作ったきっかけは?
喜多一郎監督(以下 喜多):学生時代に僕自身もサーフィンをやっていて、本当にサーフィンが好きなんです。サーファーの佇まいが好きなんですよ。ボードを持って海に向かって行く姿勢とか、ボードを横に置いて波を観察している姿とか。絶えずそういう場面に自分の中で音楽を当てはめながら見ていたりするので、それを自分の映像に取り込みたいなということは、映画監督になった時から思っていました。
「荒波を超える」とか「波を超える」とか「波に乗る」とかって言葉って、全部人生に結びついてるじゃないですか。実は波って、人生に例えられるケースがすごく多いんですよ。今回の映画のテーマもそうなんですけど、「人生もサーフフィンも大切なのはバランスとタイミングだ」って。そういったことも描きたくて、サーフィンを題材にしています。
ただ、サーフィン映画ではなくて、サーフィンを題材にしたヒューマンドラマです。ですから、サーフィンに興味がない人も見ていただいて、人生のヒントを得ていただければ最高だなと思います。
本作は続編になるんですか?
喜多:「ライフ・オン・ザ・ロングボード 2ndWave」というタイトルなんですけど、ストーリーにはまったくつながりはないです。前作を見た人にとって「懐かしいな」という要素は、隠し味程度には入れてますけど、ストーリー自体は関係ないので。1を見なければ2を見ちゃいけないみたいな感覚は、「アベンジャーズ」ほどないです(笑)。
舞台設定は前作とほぼ同じなんですよね?
喜多:はい、名称も一緒です。僕は昔ドキュメンタリーなどを作っていたので、その場にあるものをあんまり演出で変えないんですよ。だから僕の映画を観てその地区に行くと、だいたいそのものズバリあります。
種子島の人たちから、約15年たっても今だにこの映画(「ライフ・オン・ザ・ロング・ボート」)を見て来ましたって言う人がいっぱいる、というお話も伺っています。約15年前にこの映画を見て、やっと来れましたってサーファーが、今年も去年もけっこういるんですって。それが、今回もう1回種子島で映画を作り直そうというきっかけにもなったんですけど。
そういう人たちにとって、15年前に観た映画と同じサーフショップがあったり、カフェがあったりしたら嬉しいじゃないですか。こういうノスタルジーな地域もあるんだな、と感じてもらえるのも嬉しいと思ったんです。あと、何よりも海が変わらないですからね。それが一番の決め手です。
前作を作る時に、なぜ種子島を舞台に?
喜多:監督2作品目は、自分の好きなサーフィンを題材に作りたいと思っていました。サーフィンのメッカって、鹿児島で種子島っていう人も多いし、奄美大島っていう人もいるし、宮崎っていう人も多い。どこかで作ろうと、まったく飛び込みで港に来て、90分で行けるというので、種子島にしようと船に乗ったんです。
それで乗船員の方に、「オリジン」ってサーフショップがあるから、そこに行ったらいろんな情報を聞けますよって教えてもらって。ぶらぶら歩いてオリジンに行って、ガラッて開けて、「映画作りたいんだけど協力してくれます?」って言ったんです。それが第一声。前作で大杉漣が「サーフィンやりたい」って訪ねていったのと同じなんです。オリジンとしても、全国からサーファーが来て欲しいって考えてたらしいんですよ。それからいろいろ話をしていくうちに仲間になって、ぜひやろうっていうところからスタートしたんです。
「2ndWave」を作ることなった経緯は?
喜多:種子島からお話をいただいたというのと、最近僕が陸で作る映画が多かったので、島に飢えてたんですよね(笑)。またサーフィン映画作りたいなって意識がずっとあって、2~3年前に種子島からそういうオファーを受けて、いまだに映画を観た人たちが島に来るんだよって話を聞いて。
それから、大杉漣さんの「漣ぽっ」という番組で、今から2年ほど前に放送された島根県の回があって。アポなしで全国を歩く番組なんですけど、それで、大杉さんがあるアクセサリー屋さんを訪ねたんですけど、店主が震えてるんです。話をしていくと、「実は僕、ライフ・オン・ザ・ロングボードを観てサーフィンをはじめて、今やサーフィンが生き甲斐なんです。僕にとってあなたは神様なんです」って言い出したんですよ。「今でもライフ・オン・ザ・ロングボードを週に1・2回見ます」って。
僕にとっても種子島にとっても大杉さんにとってもなんのゆかりもない島根県という場所でこういう人がいてくれるんだなっていうのを感じて、感動しちゃって、「やっぱり2作ろう」って、実はその番組を見た時思ったんです。自分で言うのもなんだけど、映画ってやっぱりすごいなと思って。新しいことをやってみたいなと思っていた時に映画を観て、まったくのズブの素人だったのにサーフィン始めた。見ず知らずの島根県の男性に、そんな人生の転機を与えられたのかと思うと、もっと真面目に作らなきゃいけないなと。
おかげさまで前作では社会現象も起こして、テレビの放送回数も多かったので、通算550万人以上の人間が観たと言われているんです。だから影響が他の作品よりも強かっただろうと予想はついていたんだけど、それを目の当たりにすると感動するじゃないですか。宮崎でも70歳でこの映画を観てサーフィンをはじめたっておじいちゃんがいるんです。そんな話をよく聞いてたので、そういうのもすべてがきっかけになりましたね。
本作は、医療問題もテーマとして盛り込まれているんですよね?
喜多:これは、2年くらい前に松原さんと僕のワークショップで出会ったことがきっかけです。これからの時代って介護の問題や医療の問題って、ものすごく身近じゃないですか。脚本を書く前に種子島でリサーチしている時に、病院でその話を聞いて、彼女現役の看護師だし、じゃあ病院を舞台にしたテーマも入れようと思って。書いてるうちにだんだんそこがメインの大きなテーマになっていきました。後半、海より病院のシーンが多いかなみたいな感じでもあるんだけど、とても良いテーマになったので、いろんな出会いに感謝ですね。
松原さんも鹿児島を中心に、看護学校などで講演会も行ってくれているんです。この映画が存在することで、ひとりでも多くの人に、観る観ないは別にして、影響力を与えられるような機会を作れていることが素晴らしいことだなと思います。本当に、人生って出会いとタイミングとバランスですよね。バランス悪いとタイミング良くても倒れちゃうし、バランスが良くてもタイミングが悪いと意味がないし。あとはエネルギーですね。
松原さんは、この映画で初めてサーフィンにチャレンジしたんですよね?
松原奈佑さん(以下松原):完全に初めてでした。最初に波にのってみようと思ったとき、これ本当に立てるようにできてるスポーツなのかなって思いました(笑)。難しくて、私向いてないのかなって思うくらいできなかったんですけど、8回目くらいのトライで立てて、それからはコツを掴めてきました。立てるんだと思うと、シューって乗った時に爽快感があって、面白いなと思うようになりました!
種子島でのロケ撮影について、エピソードを聞かせてください。
喜多:今回、700人くらいのエキストラが出演してくれました。1番印象的だったのが、エキストラで高校生を使いたいというリクエストに応えて、種子島高校さんが希望者を集めてくれたので、オーディションのために会場に行ったんです。そしたら、自分から希望して数十人が来てくれていて。座って対面した瞬間に、みんな素朴て可愛くて、目をキラキラさせて来てるわけですよ。だからオーディションとかってレベルじゃないなと思って、その場で全員合格にしました(笑)。そこからちょっと脚本を書き換えて、高校生の出番を、最初は2人だったところを5人にしたりして、全員に出てもらいました。
それから、吹奏楽部の人たちに港で演奏してもらうシーンがあるんですけど、全員ちゃんと来て、生で演奏してくれました。そのシーンも400人近い島民の方が参加してくれました。観ていただければ分かりますけれど、その人たちがいなければその場面が作れていないので、本当にありがたいですね。
今回天候にもめちゃめちゃ恵まれたんだけど、その1番大事な日が朝からどしゃ降りだったんです。それで、みんな待合室に寿司詰め状態になって、フェリーが到着する時間に撮らなきゃいけないと決まっていたので覚悟を決めてたら、フェリーが入る直前に晴れたんです。リハーサルなしのぶつけ本番になっちゃったんですけど、奇跡的にすべてが上手く撮れました。1回で全部撮らなきゃいけないという緊張感でスタッフもキャストも動いていたので、かえって良い映像になりました。
お天気にも恵まれたんですね。
喜多:準備に2年くらいかかってるので、島の人の想いとかすべてが集結したのかなという気がしますね。5月26日がクランクインで、その日が梅雨入りだったんですよ。みんなに、なんでこんな時に撮影に来たのかと言われて(笑)。毎日降水確率が80・90%だったにも関わらず、1回も雨に降られませんでした!
ストーリーの見どころは?
喜多:僕の映画はすべて「人間再生」がテーマなんですけど、今回は挫折を繰り返してダメになって自分から逃げ出した男が、島と人と触れ合うことによってもう1度勇気をもらってチャレンジし直していく。そして、その勇気をもらったはずの彼が、実は島民にも勇気を与えていた、という物語なんです。人生って、挫折してもまだまだ本人がその気になればチャンスはあるんだ。笑顔を持つことで、明日元気に生き抜くヒントが湧いてくるんだ、ということをこの映画から感じてもらえたら、もっと日本中が明るく元気になれるんじゃないかな。そのエネルギーを鹿児島から発信していきたいなという思いですね。
予告編もとても温かい雰囲気ですよね。
喜多:予告編にも使われているTEEの主題歌の「UMI」という曲が、すごく良い曲なんですよ。海好き・サーファーだったら、絶対この曲嫌いなんてことありえない。そんな奴はサーファーじゃないっていう(笑)、そのくらい素晴らしい楽曲なんです。しかも、プロデュース・作曲がC&Kで、鹿児島にゆかりもありますし。海のシーンもサーフィンシーンもヒューマンドラマも彼女の笑顔も、看護の大切さも音楽も、あらゆるパーツがすべてセールスポイントです!
観ると明日への希望が見えてくる。元気がない人は元気を得て、元気な人もより元気を得る、そんな映画だと思います。
最後に一言お願いします!
喜多:2020年にはサーフィンが初めてオリンピック競技にもなりますし、競技自体も盛り上がると思うんです。鹿児島にとっても種子島にとっても、この映画がヒットすることは、プラスになると思っています。あらゆる要素を含んでいる作品なので、みんなの気合と応援がひとつになれば、前作を上回る社会現象を起こせるのではないかと期待しております。
松原:種子島や鹿児島の素敵な部分をたくさん映していますし、実際に種子島医療センターで役作りをしながら、島の人たちと一緒に作っていった作品だと思うので、ぜひ観て欲しいなと思います。特に頑張っている女性の方とか医療従事者の方にも、こういう人がいるんだよというのをシェアさせていただきたいなと思っています。
<STORY>
梅原光太郎は、サーファーとして一流の才能を持ちながら、その日暮らしの日々を送っている。バイトも辞め、彼女にも逃げられ、アパートから追い出されそうになった彼は、かつてサーフィンを教えてくれた恩人・工藤銀二を頼って種子島を訪れる。だが、銀二はすでに亡くなっており、銀二のサーフショップを継いで切り盛りする娘・美夏は、父の期待を裏切った光太郎を追い返そうとする。当てのないまま、なんとか美夏に鉄浜海岸まで送ってもらう光太郎。そこには、サーファーたちにとって最高の波が日々訪れる美しい海が広がっていたー。
[text=フク シネマ担当。公開は5/31。鹿児島人なら要注目です!]
- 住所:鹿児島市
DATA
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